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 [Jun.24,2006]

飲食物の味や香りを大切にするのが本当のサービス


タイで販売されているタバコのパッケージ 飲食店が、営利目的の企業(事業所)である以上、
売上(利益)を上げなければ、存続が危ぶまれます。
多くのゲストに利用してもらわないことには、事業が成り立ちません。
集客のためには、
CS(Customer Satisfaction/顧客満足)を高める必要があります。

一言に、顧客と言いましても、
客層は、お店のカテゴリーやポジションによって、大きく異なります。
そのため、全体の統計の喫煙率が、
各々の飲食店の客層に、そのまま当てはまるわけではありません。
ターゲットの年齢層や性別にも、大きく左右されます。

極論すれば、一部の外食産業は、
喫煙者の常連客によって支えられていると言えます。
客層の大半が喫煙者であれば、CSの要因として優先されるのは、
「店内で食事中に自由にタバコが吸える。」ということになります。
「このご時世、周囲に気兼ねせず、食べながら思う存分タバコが吸える。
いい店だ。有り難う。」といった言葉が、ゲストの感謝の声になります。

しかしながら、それは、「喫煙所」としての評価です。飲食店とは、文字どおり飲食をする場所。
ですから、本来、評価や選択の基準は、提供される飲食物やサービスが対象です。
また、CSを得るための手段が、違法、あるいは、反社会的であるとすれば、
企業の社会性の観点からして、大いに問題です。

さて、そもそも、当サイトは、
私が、ホテル・レストラン等の、料飲サービス事業者向けに発信して来た、
メルマガがきっかけで、立ち上げました。
現在では、このサイトで、様々な業種・職種の方々にご覧いただいておりますが、
私がメッセージを伝えたい相手は、一般の利用客ではなく、現場の責任者でもなく、
常に、ホテル・レストラン等の料飲施設の経営者です。

経営者の方々は、
喫煙者から、あなたの料飲施設が「喫煙所として喜ばれること」が、果たして、本望なのですか?
来店して着席するやいなや、タバコとライターをテーブル上に置いて、
喫煙を始めるような客が、大切なお客様なのですか?
他人のタバコの煙を吸いたくないと願う客層を、煙で燻して追い出し、
迷惑喫煙者に売上を頼ることに、全く疑問を感じないのですか?

飲食店の中には、特に、「健康増進法」施行以降に、
店内を全席禁煙にしたり、完全分煙にしたものの、
しばらくして、元の不完全分煙や、酷い場合には、
どこでも喫煙可能な状態に、逆戻りしてしまったところがあります。
「喫煙客が離れてしまって売上が落ちた。」というのが理由です。

これが何を意味しているのかと言いますと、そのお店の経営は、実は、喫煙者に支えられていて、
飲食物が美味い・不味い」ではなくて、
タバコが吸える・吸えない」のほうが優先順位が高かったということになります。
いやしくも、「食」のクオリティで勝負しているはずの飲食店の経営者として、
タバコに負けてしまったことを、恥とは思いませんか?
結果的に、ゲストは、あなたのお店の飲食物やサービスが目当てではなくて、
単に、あなたのお店を喫煙所として利用していただけなのです。
悔しくありませんか? 情けなくありませんか?
「喫煙客が離れてしまって売上が落ちた。」の裏には、
お店の飲食物やサービスには魅力が無かった。」という厳しい現実があります。
自店の飲食物やサービスのレベルの低さを棚に上げて、
客離れの理由を禁煙措置とするのは、誠に滑稽な話。

仮に、喫煙者が主要な客層の業態のお店を、
単に全席禁煙にしたとして、経営を維持できる程には客は入りません。
非喫煙者や、受動喫煙を回避したい人は、最初から、そうした業態のお店には、近付きさえしません。
いわゆる食通(美食家)の方々には、見向きもされません。
ゲストに喫煙させることが主な目的の店ですから、
単に禁煙にしても、オマケ程度の飲食物や低レベルのサービスが残るだけ。
元来、高品位の料飲サービスのノウハウが無いため、
新たな客層の開拓は困難で、ただ、喫煙客が離れるだけの結果になります。
経営者は、自店が「飲食店」ではなくて、単なる「喫煙所」だったと、やっと気付くことになります。

私は、料飲施設において、他人のタバコの煙で飲食を邪魔され、
「二度と来ない」と心に決めたお店を去る際、
現場の責任者に、当サイトで主張している内容を伝える場合があります。
だいたい、次のようなやり取りになります。

『おタバコを吸われるお客様がいらっしゃいますので……』
「では、吸わない方や、他人のタバコの煙を嫌がる方はいらっしゃらないのですか?」
『いらっしゃいます。苦情を言われることもあります。』
「現状のまま放置するのですか?」
『おタバコを吸われるお客様に、お越しいただけなくなってしまいますので……』
「食事をする場所で喫煙するような迷惑な客が来なくなるのなら、結構なことではありませんか。
お店も汚れませんし。それに、喫煙者でも飲食店内では控える方や、
他人のタバコの煙を嫌う方もいらっしゃいますよ。」
『喫煙しながら食事をされることを楽しんでおられる、長年の常連客の方もあり、
我慢を強いることは難しいですし、対策を取れば、他店に行かれてしまいます。』

「食事の時間中の短い時間さえ我慢できないというのは、ニコチン依存症という病気です。
そんな病人の禁断症状に気兼ねして、周囲の者が利用しなければならないとは、変だと思いませんか?」
『………………』
「あなたのお店の料理が、タバコの煙で汚されています。料理人にはプライドが無いのですか?」
『………………』
「喫煙可能な空間に、子供や未成年者が居ることに違和感を覚えませんか?」
『………………』
従業員の職場環境として、現状のままでよいのですか?」
『………………』
「私共は二度と来ません。料理が目当てで来店する本来の客層を逃してもよいのですね?
このままだと、タバコを吸うだけのために来る客層で固まってしまいますよ。」
『………………』
健康増進法違反で違法営業になります。保健所等の当局に通報しますが、構いませんか?」
『………………』

後半の質問には、現場のマネージャーのレベルでは、まず、答えることができません。
無理もありません。いかなる言い訳も不条理なものになります。
飲食店内でゲストに喫煙させることに、正当な理由があるはずも無く、
経営者の経営判断により、こうした運営になっているわけです。全ての責任は経営者にあります。

今後、「喫煙所」の経営は厳しくなります。まぁ、せいぜい、今のうちに、しっかり儲けて下さい。
でも、「飲食店」の本来の姿に戻したほうが賢明かと……

店内で、未成年のグループが喫煙するのを放置したり、
タバコの煙で白く霞む空間に、小さな子供連れの喫煙客が居る光景を、
何とも思わない飲食店経営者を、私は、心底、軽蔑します。
ファーストフード店の喫煙席に陣取る未成年者のグループを、見て見ぬふりする。
好き放題にさせる……これが顧客満足なのでしょうか?
企業倫理は無いのでしょうか?

料飲施設の経営者は、「目先の利益」に囚われていて、
時流や世界情勢に疎い人達が少なくありません。
公共の利益」の観点からして、喫煙に対する規制は加速しており、
対策を怠れば、店内は、かなりの特殊環境になってしまいます。
公共の利益」が守れないような企業の、社会的信用は失墜します。

飲食店内における煙害により、二度と来ない客の多くは、サイレント(無言)で去ります。
そのため、経営者は「客離れ」の理由を把握し難い状況です。
私の知る限り、タバコの煙を回避するために、外食を控える、あるいは、
全く外食をせずに、自らの料理の腕前を磨く方々が少なくありません。
多くの外食産業は、店内にタバコの煙さえ無ければ、喜んで足を運んでくれる、
こうした、料理を愛する良客を排除しています。
迷惑な喫煙客に遠慮するあまり、
「味と香りに敏感で、お店のこだわりの味を理解してくれる、本来は中心となるべき良い客層」
を逃しているとは、飲食店として、本末転倒もいいところです。

当サイトを公開して以降、実は、この私自身、外食の機会が減りました。
自らが、タバコの煙と悪臭の漂う、不衛生な飲食店に足を運んでいたのでは、
説得力がありませんから。
機会が減っているというのは、外食の回数が減っているのではなくて、
特定の優良店に対して、利用が集中しているということです。
本当は、様々なジャンルの飲食店を食べ歩きたいのですが、
受動喫煙対策を行っていないお店には、一切、行くことができません。
一部のジャンルは全滅につき、自分が直接的には、全く現状を把握できない業態のお店があります。

味覚・嗅覚に直結し、生命の維持に欠かせない、最も基本的な人間の欲求に深く関わる、
「食べる・飲む」といった行為が行われる「飲食店」が、
取り残されている現状に、大いに違和感を覚えます。
特に、公共施設・公共交通機関・職場での喫煙規制が、急速に進む中、
このままだと、「飲食店の喫煙所化」が進むことが懸念されます。

たとえ、自店で規制しても、他店に受け皿(避難所)があり、
「タバコが吸える・吸えない」という、飲食とは無関係な選択肢により、
顧客に簡単に逃げられてしまいます。
「タバコが吸える」という理由で繁盛する店、
喫煙所だと割り切って、飲食スペースを提供するような店が主流になれば、
およそ、外食文化というものは地に落ちてしまいます。食文化全体の崩壊が、強く懸念されます。

業界の自主規制には限界があります。
イタリアのように、罰則付きの法規制により、全ての飲食店の条件を統一して、
本来の正常な競争が行える環境を整えることが重要です。

たとえ、どんなに高評価がなされているお店でも、受動喫煙の影響があるのならば、評価対象外です。
「行く価値無し」として、自らは利用しませんし、決して、周囲の人達に勧めることもしません。
タバコの煙の無い空間」で美味しく食べることが第一で、
「食」そのものを語る以前の、基本中の基本だと考えているからです。

お店にコメント(苦情)を伝えること無く、利用し続ける……
すなわち、問題店舗の売上に協力する行為は、結果的に、お店の運営を肯定することと同じです。

当サイトにおいては、料飲施設内における受動喫煙問題に関して、
経営者の責任のみを追及してまいりました。
サイト公開当初から、「迷惑な喫煙行為を行う本人にも問題があるのではないか?」
といったご意見をいただいておりました。

しかしながら、私は、迷惑喫煙者本人の問題では無いとのスタンスを取り続けています。
経営者が「健康増進法」を遵守しさえすれば、一発で解決する問題だからです。
簡単に、「迷惑喫煙行為」を排除できます。
排除するのは、迷惑喫煙という「行為」であって、「喫煙者」ではありません。
たとえ、喫煙者であっても、
食事をする場所でタバコを吸わないようにすれば、お店を利用できるわけです。
また、「非喫煙者 VS 喫煙者」といった構図にはまってしまうことは、
本来の共通の敵である、タバコ産業と、その利権で潤う人達の思う壺です。
(参考: 喫煙者を救え!)

「非喫煙者 VS 喫煙者」の状況で議論するのは、時間の無駄に他なりません。
例えば、飲食店内の迷惑喫煙者に対して、
「タバコを控えて下さい。」と呼び掛けたとして、
「ご心配無く。自分の身体のことは自分が一番知っています。吸い過ぎに注意します。」
といった答えが返って来る程に、温度差が大きいものです。

不特定多数の人達に迷惑がかかるような喫煙行為を一切行わない、
つまり、人前で喫煙しない真の愛煙家を除く、一般の喫煙者の中で、
自分の意思で喫煙をコントロールできない人は、
タバコの呪縛から抜け出せない、哀れな煙の囚われ人、
哀煙家」と言ってもよいでしょう。
本当は止めたいのに、肉体の欲求によって止められず、
しかも、無意識のうちにタバコに点火してしまい、
所構わず、人前での迷惑な喫煙行為に至ってしまうという……
タバコに束縛され、タバコ産業に弄ばれた可哀想な人達ですから、哀れむべき悲しい存在でしょう。
ニコチン依存症」という立派な病気ですから、
こうした人達そのものの問題は、医師に任せておけばよいのです。

迷惑喫煙者は、人前で喫煙しない真の愛煙家までをも、自分の仲間だと勘違いしています。
そして、自分を批判する人達全てを、非喫煙者だと信じて疑いません。
ところが、そんな単純な話ではありません。
真の愛煙家にとっても、迷惑喫煙者は厄介な存在なのです。
人に迷惑をかけない方法で喫煙しているのに、
同じ喫煙者というくくりで捉えられてしまい、大迷惑しています。
迷惑喫煙者の仲間は迷惑喫煙者のみ。周囲は全て敵です。

私の周囲の喫煙者の中に、成人してから喫煙を始めた人は一人もいません。
映画やドラマの中で、俳優やタレント等が喫煙するシーンは、
未成年者をターゲットにした、タバコ産業のプロパガンダです。
タバコ会社が特定の銘柄を指定して、俳優に吸わせることさえあります。
(俳優が未成年者の場合、不良少年の演出等のための喫煙シーンは、
タバコではなくて、ネオシーダー等を小道具として使う。)

現に、今でも、喫煙描写は頻繁に登場し、
未成年者が、所構わず喫煙するシーンが描かれた、漫画やアニメーションも存在します。
もちろん、成人の場合は、通常、映画やドラマに、
タバコ産業の広告(メッセージ)が潜んでいることが理解できますから、
馬鹿らしくて、大人になってから喫煙を始めることなどしません。
およそ、「あえてタバコを吸う理由」が見当たりません。
ですから、タバコ産業は、理性が働く成人ではなく、
成長過程にあって、思慮分別が未熟な、未成年者をターゲットにするのです。
(日本で普及している自動販売機は、格好の販売促進アイテム。)

いわゆる、禁煙法が施行されているイタリアでは、違法行為を取り締まっているのは警察です。
事実上、レストランやバー等、不特定多数の人達が集まる場所は全面禁煙で、
違反すると罰金が科せられます。
これに対して、日本の映画やドラマの中の刑事等は、歩きタバコをしたり、ポイ捨てをしたりしています。
当然のことながら、刑事も警察官です。
市民の模範となるべき警察官の演出において、迷惑喫煙行為の描写は極めて不適切であり、
映像作品の中で、そうした喫煙シーンを入れる必然性がありません。
メディアが生み出すイメージの影響は大きく、
我が国において、警察が喫煙のマナー・モラル云々を唱えるのは、少々難しいかもしれません。

憧れのタレントが吸っていたので真似したとか、吸わないと仲間に入れなかったとか、
不良グループに絡まれて強要されたとか、
そうした「若気の至り」で始めた喫煙行為は、かなり厄介です。
成長過程にある未成年者のほうが、成人よりもニコチン依存が生じやすいからです。
大人になってから、3K(臭い・汚い・格好悪い)に気付いたとしても手遅れ。
ニコチン依存の悪循環から抜け出すのは、かなり困難のようです。
未成年者をニコチン漬けにしてしまえば、長期にわたり、タバコを買い続けてくれるので、
タバコ会社にとっては、最重要の購買層です。
従順な顧客として手玉に取られ、タバコ産業の餌食にされてしまった未成年者が、
本当に気の毒でなりません。
迷惑喫煙者を、非喫煙者に対する加害者と捉えるのはナンセンス。
タバコ産業が作り出した被害者なのです。

WHO(世界保健機関)では、タバコの使用は、
精神作用物質による精神及び行動の障害」と定義されています。
ニコチン依存が生じると、正常な思考に支障をきたします。

私自身は、喫煙者本人の健康問題など、一切関心がありませんので、
喫煙者に禁煙を勧めるようなことはいたしません。
不特定多数の人々の集まる場所の喫煙規制は、喫煙者の健康問題ではなくて、
公共の利益に反する反社会的な迷惑行為」との観点から進められています。
でも、「健康増進法」という法律の名称の影響もあり、
自らの健康を周囲が気遣っていると勘違いして、
「余計なお世話。」・「身体に悪いことを知っていて、あえて吸っている。」
「タバコ無しで長生きするよりも、吸い続けて早死したほうがマシ。」
と反発する喫煙者が少なくありません。実に愚かです。
周囲が見えていない証拠。周囲への配慮などできるはずがありません。

仕方なく同席した会食相手が、帰宅後に、
髪の毛や服に付着したタバコの悪臭を、消臭剤で消している苦労も分からないでしょう。
なぜならば、迷惑喫煙者は、常に、自らがタバコの悪臭をまとっていて、感知できないのですから。

「天動説」で動いている喫煙者に、
「本当は地動説が正しい。」と諭したとしても無駄です。
歴史が証明してくれたように、天動説の終焉を気長に待ちましょう。
世界は、少数派の喫煙者ではなくて、多数派の非喫煙者を中心に回っています。
ようは、これに気付くのが、早いか遅いかの違い。

喫煙者の中には、
「禁煙することは、かえって健康に悪い。
タバコを我慢することによって、ストレスが蓄積し、
イライラして、胃が痛くなる。胃潰瘍になるかもしれない。
タバコを吸うとリラックスできる。むしろタバコは健康に良い。」といったことを言う人がいます。

まず、思考のスタート時点からして、間違っています。
本来は、喫煙をしない、多数派の健常者(非喫煙者)が基準です。
タバコを吸うこと、すなわち、ニコチンを摂取することによって、
リラックスできるということは、ニコチン依存の特異体質の成せる業です。
脳がニコチンに支配されているからこそ、元来異物であるニコチン摂取が快感になります。

喫煙習慣の無い健常者の場合、果たして、
タバコによってリラックスすることができるでしょうか?
喫煙できないことが、ストレスにつながるでしょうか?

むしろ、タバコの煙はストレスに直結します。
臭くて汚いタバコの煙を直接取り込むことを望まなくても、
不本意ながら、受動喫煙によって取り込まざるを得ないことが少なくありません。
脳の機能が正常に働いているため、異物として拒絶反応が起きます。
多くの人達が、煙たさや悪臭による不快感・目や喉の痛み・
頭痛・めまい・吐き気といった急性の悪影響を受けます。これが正常な人体です。
(残念ながら、喫煙者と同居している非喫煙者の場合、
タバコの煙への耐性が生じて、異物への反応が鈍くなっている人がいます。)

正常な思考回路は、タバコによって破壊されます。
まさに、「精神作用物質による精神及び行動の障害」です。
救いようがありません。覚醒剤等の麻薬中毒患者と一緒です。
ですから、一般の人達が喫煙者に対して、禁煙を勧めることはナンセンスだと思います。
喫煙は病気」ですから、これは、医師の医療行為の領域です。


  【参考資料】

  http://www.menet.gr.jp/kin-en/Library/yameru.html

  『ストレスが多いからやめられない?』

  多くの愛煙家は、タバコを吸う理由に"ストレス解消"を取り上げます。
  「たばこをやめるストレスの方が身体に悪い」ともよく言われます。
  たばこを吸うと本当にストレス解消になるのでしょうか?それは錯覚です。
  たばこに含まれるニコチンは、脳で神経伝達物質として働き「目が覚める」、
  「集中力が増す」といった覚醒作用や、「気分が変わる」、
  「満足感を覚える」抑制作用が働き喫煙を繰り返すうち
  "たばこはいいものだ"と脳が思い込んでしまいます。
  ニコチンの摂取を繰り返していると脳は自力で神経伝達物質を分泌する能力が衰え
  ニコチンの血中濃度が下がると脳や神経が正常に働かなくなります。
  イライラしてたまらなくたばこが欲しくなりそこで一服。あーやれやれ・・・
  ほっと一息!しかしニコチンが減ってくるとまたイライラ。
  つまりたばこを吸うこと自体がニコチン切れというストレスを作り出しているのです。
  タバコを吸うことで一時的に禁断症状が緩和されたのを、
  ストレス解消と勘違いしているに過ぎません。
  たばこを吸いつづける限り、たばこ切れのイライラからは開放されません。
  たばこをやめるということは、この悪循環から抜け出せるということです。



私は、歩道を歩いていた際、火の点いた状態のタバコが、身体に当たったことが何度もあります。
歩きタバコのみならず、後方から近付いて来た自転車に乗った人が、
すれ違いざまに、落としていったものが直撃したこともあります。
自転車に乗った本人は、後方確認をしておらず、
タバコが、どこに落ちるのか気にしていませんが、
風の影響などもあって、通常、後方に落下し、最悪の場合、歩行者に当たります。

路上・歩行時・自転車乗車時の喫煙の問題につき、
喫煙者のモラルやマナーに訴える動きがありますが、無駄だと思います。
こうした行為が、周囲の不特定多数の人達の迷惑になるということは、常識です。
他にも、例えば、自分の自動車の灰皿を汚すのが嫌なので、吸い殻を車道にポイ捨てするとか、
灰皿がいっぱいになったら、車道にぶちまけるといった行為が散見されますが、
およそ、一般常識では考えられないことです。

痰や唾を路面に吐き捨てているのも、主に喫煙者です。喫煙行為は喉を痛めます。
歩きタバコをして悪臭を撒き散らし、ポイ捨てし、痰や唾を吐く……
公衆の面前で、醜態を晒している自らの姿を、一度、ビデオに撮ってもらって、
客観的に見てみるとよいと思います。

路上喫煙の問題について、私の住む福岡市には、
人に優しく安全で快適なまち福岡をつくる条例」というものがあります。
「生活環境の悪化は、そこに住み、働き、集う人々の心を荒廃させ、
市民の自治意識を後退させるばかりでなく、ひいてはコミュニティの崩壊、
犯罪・少年非行の増加や都市活力の衰退といった深刻な事態にまでつながりかねない。」
として、「何人も、歩行中又は自転車に乗車中に喫煙しないよう努めなければならない。
との条文があります。
このようなことは常識の範囲ですから、まず、この条文が存在すること自体が恥です。
この条文は、いわば、「努力目標」の類ですが、少なくとも、福岡市は、市内全域で、
歩行・自転車走行中の喫煙を、迷惑行為と規定しているわけです。

情けないことに、これを守らない人が、あまりにも多いために、
仕方なく、影響が大きい地区を特別に指定しています。
特に繁華街を路上禁煙地区として設定し、科料徴収の対象にしています。
ですから、路上喫煙禁止区域の中だからダメ、外だからよいといった次元の話ではありません。
他人への迷惑以前に、人間として格好悪過ぎます。

ニコチン依存は、肉体のみならず、精神をも蝕み、「人間としての善悪の判断」を狂わせてしまいます。
なにせ、「精神作用物質による精神及び行動の障害」であり、
病人なのですから、悪いのはタバコであって、本人自体を責めるのは、あまりに可哀想でしょう。
本人の理性ではなく、タバコにコントロールされて迷惑行為に及んでいるわけですから。
病気という観点から考えないと、およそ、迷惑喫煙行為の類は、
社会人の常識として、説明がつきません。
モラルやマナーを訴えて、啓発・啓蒙を促すよりも、
迷惑喫煙者を、徹底して「病人扱い」にして、治療を促したほうが遥かに効果的です。

私は、以前、ポイ捨てをする歩行喫煙者に注意をしたりしていました。
迷惑喫煙者との実際のやり取りをまとめますと、だいたい、次のようなことを言われました。
「道端に灰皿が無いのだから、ポイ捨てする他無いでしょう。灰皿が無いのが悪い。」
唖然……
歩きタバコをしない・吸い殻等を捨てないという選択肢は、持ち合わせていないようです。
こうした人達にとっては、全ての地面がゴミ箱なのでしょう。
本来、定められた喫煙所以外は、禁煙、もしくは禁煙が望ましい場所。
灰皿が設置されていないということは、喫煙すべきではない場所という意味。

歩道上で、昔はよく見かけたのに、最近は見かけないものと言えば、飼い犬の糞です。
飼い犬を散歩させている、飼い主の意識の変化の表れです。
迷惑がかからないように、犬の糞を持ち帰るのは、愛犬家として当然のこと。
対して、吸い殻等のポイ捨ては、いっこうに減る気配がありません。
迷惑がかからないように喫煙している真の愛煙家は、大事なタバコをポイ捨てなどしません。
吸い殻の持ち主は迷惑喫煙者です。
今も昔も、生き恥を晒し続ける迷惑喫煙者とは、いったい何なのでしょうか……

「私はタバコ税の納税者です。その税金で清掃費用が賄われるし、雇用も生み出している。」
まさか、お国のために、喫煙しているわけでもないでしょうに……
誰も、喫煙するようにとは頼んでいません。
所得税等の納税は国民の義務ですが、タバコ税を納める義務なんてありません。
これは、酒税も同じ。吸わない・飲まない人は買いませんから、納税しません。
火災被害・医療費増加・環境破壊・清掃コスト増加といった社会的損失が、
タバコの税収を、大幅に上回っています。
尊い人命までもが奪われています。もはや、コスト換算できないほどの重大な問題です。
本来、路上に捨てられる、吸い殻やタバコのパッケージが無ければ、
清掃担当者自体が必要無くなります。これは、雇用機会が失われるのではなくて、
別の有益な雇用機会を設けることができる、人材の有効活用ができるという意味です。

禁煙エリアで喫煙してる迷惑喫煙者に、注意をしたこともありますが、
逆ギレされて、危害を加えられ、それがトラウマになって、
現在では、私は、迷惑喫煙行為を目撃しても無視するようになりました。
思えば、注意する価値さえも無い人間失格者でした。
現在でも、路上禁煙地区に行くと、必ずタバコを吸っている人を見かけますが、
こんな輩の将来は知れています。いずれ、自滅するでしょう。
見て見ぬふりして、関わらないようにしています。

特に、歩きタバコをしている人は、
ニコチンの禁断症状に追い立てられて、イライラしていることが多く、
うかつに近付かないほうが無難です。精神を病んでいる病人なのですから。
専門家(医師)に任せましょう。
麻薬中毒患者に対して、「覚醒剤を打つな。」と注意することと、同様の危険性があり、
実際、多数の傷害事件が発生しています。
ですから、迷惑喫煙者に直接、何かを訴えるのはナンセンスだと思います。

悩ましいのは、子供を連れた親達の迷惑喫煙ですね。
どんな親であっても、子供にとって親は親。
子供の前で、親を注意するのは、子供の成長に与える影響が大きいでしょう。
子供の手を引いて、歩きタバコをしている親の姿は、頻繁に目にしますが、
その子供のほうも、カードゲームの包装フィルムを破り捨てながら、歩いていたりします。
本来、子供のそうした行為を注意するのは、親の役目なのですが、
肝心な親のほうが、タバコの包装フィルムを破り捨て、
吸い殻をポイ捨てして、タバコのパッケージまでをも路上に捨てながら、歩いているのですから……
こうした家庭環境に育った子供は、やがて、親と同じ行為に及ぶでしょう。
歩きながらゴミを路上に捨てるというのが、この家庭の常識なのですから。
周囲の人間は、個々の家庭の問題にまでは、さすがに踏み込むことはできません。

飲食店内で、子供の隣で平気で喫煙する親の姿を見かけますが、
おそらく、家庭の食卓でも、子供の前でタバコを吸いながら、食事をしているのでしょう。
確かに、子供が可哀想だとは思いますが、今さら、こうした親を再教育しても無駄だと思います。
また、いくら、子供が学校で、
タバコの害と社会に与える悪影響についての禁煙教育を受けて、帰宅したとしても、
家庭に悪い見本があるのですから……
学校での禁煙教育に対して、苦情を入れる喫煙者の親までいます。
確かに、子供から注意されるのでは、親としての立場が無いのでしょうけれども、
もはや、救いようがありませんね。

でも、飲食店内においては、子供の隣で親が喫煙するという、
不条理な光景が繰り広げられることを、食い止める術はあります。
それは、飲食店の経営者が、適切な運用を行うことです。
具体的にどうすればよいのかにつきましては、今までに書いて来たとおりです。

受動喫煙の諸問題は、様々な側面がありますが、
今後とも、私は、料飲施設の問題に、注力したいと思います。
経営者は、「利用客のモラル・マナーの問題」として、ゲストに責任転嫁して逃げてはいけません。
責任は全て経営者にあり、経営者の決断如何で問題は即解決します。
当方は、引き続き、経営者に英断を迫る活動を続けてまいります。